「べいめん」に日本の食の未来を託す
米粉に魅了され不可能と言われた米粉だけで作られた麺「べいめん」。
もっと多くの方が米を消費してくれれば、生産者の高齢化問題や増え続ける耕作放棄地問題に歯止めがかけられるのに。そんな夢物語から始まったこの「べいめん」プロジェクト。
多くの方の協力によりこの「べいめん」は完成しました。
これからも大志と夢を追い続け日本の食を守っていきたいと思います。
まだまだ、チャレンジし続ける Old boys be ambitious!
料理人修業→独立→経営破綻→引退→出会い→復活→大志を抱いて
料理人になる為、高校卒業後、大阪の調理師専門学校に学び、東京で修業し30才で独立。
スパゲッティ専門店を開業。当時、茹でたてのスパゲッティを食べさせる専門店は数少なく、バブル景気のおかげもあり、3人の娘を育て、嫁がせることができました。
念願のイタリアンレストランも開業し、順風満帆繁盛しておりましたが、フランチャイズ外食産業の荒波に飲み込まれ、敢え無く閉店、現役を引退しました。
修業時代
若かりし頃は西洋料理にあこがれ、フランスパリを夢見ながら修行していた日々。
パリで食したフォアグラ、トリュフ、キャビアといった本物の味はとても魅力的でした。
しかし、その食材対していつしか私の身体は違和感を感じるようになりました。
その後、イタリアでパスタ、ピッツァ、ビステッカ、オリーブオイル、トマト、海の幸、山の幸の数々。素材を生かす料理イタリア料理に私は体の隅々から喜びを感じました。
それからイタリア料理に傾倒。
イタリアにイタリア料理は存在しないこと、在るのはイタリア各地の地方料理でありマンマの料理が原点で有ること。
身土不二、地産地消がごく自然に存在している。
旬の食材の持つ良さを生かし、手を加え過ぎず、毎日食べても飽きの来ない美味しい料理を守り続けているイタリア料理のすばらしさに魅了され続けていました。
食の過去、現在、未来
かつて日本においても、母親は毎日新鮮な魚や野菜、肉を買い物に行き、家庭で料理し家族で食卓を囲み、家庭の味と家族の絆を育んでいました。
毎日食べても飽きの来ない美味しいごはんを主食に、旬の食材を御菜として食べてきたのですが、経済成長するにつれ、食の産業化が進み豊食、飽食、個食、孤食、旬の消滅、おふくろ(母親)の味が“袋の味”に変わってきた様に思います。
安価な食材が輸入され便利さ(コンビニエンス)と引き換えに、本来の味わい・食べる豊かさを失ってきた様に感じます。
イタリアを思うたびに現在の日本の食の崩壊が危機的状況に陥っている事に将来への不安を感じています。
引退・・出会い・・復活・・大志
2011年の夏、イタリアン料理店を閉店し、日本の食へ危惧を抱いて「べいめん」作りに励んでいた頃出会った、石松さんの協力もあって、遠賀町に世界初のべいめん専門店「糀(こめのはな)」を開業することができました。
特に開業までの準備期間中に石松さんから米作りの実情を数多く学びました。
今まで経営者として、料理人としていろいろ経験してきましたが、米作りを手伝ううちに、余りにも自分のお米に対する無知、無関心がとても恥ずかしく大反省しました。
このままでは日本の米農家は危ないと痛感し、さらに世界文化遺産、和食を支えるお米への不安が強まったのです。それらの背景を踏まえ現在も「べいめん」を通じ、日本の食文化や米農家を守る活動をしています。